日本CI協会はマクロビオティックの創始者桜沢如一によって創設された日本で最も歴史のあるマクロビオティックの普及団体です。

home クッキングスクール イベントのご案内 書籍紹介 ショップ・レストラン情報 リンク アクセス お問い合せ

活動と入会案内

■会長からのごあいさつ
■概要
■理念
■沿革
■『入会のご案内』
■マクロビオティックとは
・辞書で引くと・・・
・桜沢如一・桜沢里真
・コラム
■研修制度

スタートセミナー日程



健康・病院案内

■健康相談
■定期健康講座
■病院案内

月刊マクロビオティック
食養生や料理レシピなど最新情報が満載です。

■最新号目次
■ご入会の案内
■図書館


マクロビオティックWeb

マクロビオティックWeb

マクロビオティック商品の商社オーサワ

マクロビオティック商品の商社オーサワ

リマネットショップ

 

Home月刊マクロビオティック > 抜粋記事〜コラム

『月刊マクロビオティック』おすすめ記事

コラム:桜沢如一のコトバに学ぶ

「戦国武将を支えた黒飯」
日本CI協会刊「マクロビオティック誌」連載
2015年12月号掲載(第63回目)
寺子屋TAO塾代表 波多野毅

「信長は舂米を食しました。秀吉は高野山で玄米の割粥を食ったとあります。清正の玄米はその七ヶ条の家憲に定められていました。(中略)大阪の役では家康も玄米を食っていた事が記されています。家康自らの言葉にも『美味は月に両三度頂けばよろしき』云々とあります。二代目将軍秀忠の時、大名連のお賄いは蕪汁おろし大根、あらめ、煮物、干物であったという事です。三大将軍の質素はまた厳格なもので『町民百姓は白米を許さず』『宜しく雑穀を食むべし』『之を犯すものは厳罰す』と幕令が出た位です。」
(食養講義録)

古くは臼で搗いた米を「舂米(しょうまい)」と呼んだ。「春」ではない。戦国時代を生きた武将たちは、白米よりも玄米
の方が体力維持に役立つことを経験を通して知っていた。

本能寺の変で主君・信長の横死を知った秀吉ら一行が、速やかに毛利氏との講和を取りまとめ、重い鎧兜を身につけたまま中国地方から遠路帰還した体力は驚異的である。

秀吉に長年仕えた加藤清正には、朝鮮出兵ほか数多き武勇伝が残っているが、慶長年間に家中に示した触書7ヶ条には、「食は黒飯たるべし」と命じている。この頃から上流階級では白米を食べる武士も現れはじめたのであろう。

平均寿命が50歳位だったといわれる戦国時代、75歳まで生きた家康は極めて長寿。麦飯と味噌を常食していたとされる。大豆と米の組み合わせは三大栄養素や必須アミノ酸のバランスを生み、味噌は玄米の消化を助ける。信長・秀吉・家康・清正…尾張・三河出身の彼らのソウルフードは味噌だったのだ。

家康・秀忠・家光の3代に側近として仕え、家康に江戸に幕府を開くことを進言し、陰陽五行を駆使した都市計画をしたとされる天台宗の僧侶・天海は108歳まで生きたという。長寿の秘訣を、秀忠には「長寿は粗食、正直、日湯(毎日風呂に入ること)、陀羅尼(お経)、時折、ご下風(屁)遊ばさるべし」、家光には「気は長く、務めはかたく、色薄く、食細くして、心広かれ」という言葉にして残している。

 

波多野 毅

波多野 毅 /はたの たけし
(一般社団法人TAO塾代表理事・熊本大学大学院特別講師)


1962年熊本県生まれ。
一般社団法人TAO塾代表。修士論文のテーマは「食の構造的暴力と身土不二の平和論」。現在、熊本大学紛争解決平和構築学研究室客員研究員。鍼灸学生時代、日本CI協会、正食協会にてマクロビオティックを学び、93年Kushi Institute勤務。笑いながら東洋医学の哲学を学べるエデュテイメントを展開中。著書に「医食農同源の論理」「自遊人の羅針盤」など。

※この記事は「月刊マクロビオティック」で連載しています。