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『月刊マクロビオティック』2021年5月号おすすめ記事

特集「田植えの季節に想う、お米のありがたさ」

パンデミックの影響下、人々の行動と移動に大きな制限が加えられ、さまざまな産業の規模が大幅に縮小し、1930年代に起こった世界恐慌に比肩するほどのGNPマイナス成長をもたらし、ありとあらゆる分野において世界規模で根底から、社会・経済の構造そのもののシステムを変革せざるを得ない状況に至っています。しかし、そうした社会・経済状況の混沌から、自然・環境に視点を転じてみると、およそ 1年半の期間、自然環境に与えていた負荷が大幅に低減し、いままでになく元気になった 「自然」を眺めることができるようになりました。都会にいてさえ美しく澄み渡った空を眺めることができるようになりました。「風薫る五月」や、「青葉若葉の陽の光」と詠われたような、美しく素晴らしい季節が到来しています。皐月、それは古来から日本人にとって最も大切な行事「田植え」の月です。機械化作業が一般化しているとはいえ、その行為における精神性は日本人にとってかけがえのない大切なものと言えるのではないでしょうか。マクロビオティックの実践にとって最も大切な食材は未精製の米「玄米」であることは言うまでもありませんが、今月は、その「米」をつくってくださっている生産者様・米加工業者様へのインタビュー、米の美味しいいただき方に関することなどをお伝えいたします。

 

自然の営みをすべて取り込む

山形県酒田市 佐藤秀雄さん

 5月は田植えのシーズンです。農家さんでは苗を育てる作業や田んぼを耕やす作業が3月、4月からすでに始まっていますが、5月は米作りが本格化する季節です。
 山形県酒田市で農家を営む佐藤秀雄さんは、有機栽培の中でも最たるこだわりの米作り、施さない、肥料を与えない「無施肥」栽培をしています。今年73歳でも自ら米作りを行い、探求心あふれる佐藤さんにお話を伺いました。

 

自然の生態系を田んぼに


編集部:佐藤さんは農業を始めて今年で何年になりますか?

佐藤秀雄(以下、佐藤):農業は20歳からですから、53年ぐらいになりますね。米作りは有機栽培から入ったんですよ、昔の無農薬ね。有機栽培は18年、それから無施肥が18年で、米作り36年になりますね。

どうして有機から無施肥に変わったかというと、やっぱり自然の営みの関係でしょうね。自然の営みとは共生という感じでしょうか。田んぼを見ていたら、山を見ていたらそういう風になるんですよね。

以前は森から土を持ってきて、森の営みを田んぼで再現しようと考えていたんですけど、それでも不十分なんですよね。ブナの森に一番最初に行ったのは36年前ぐらいになるんですけど、土を持ってきて、蜜みたいな糖分を与えてあげて、温度を加えてあげて微生物を培養していくんですよね。それでも、森の営みを全部田んぼに移すことは出来なかったんですよ。

編集部:森の生態系と田んぼの生態系が違うということですか?

佐藤:ん〜そうじゃない。元々生態系は同じなんですよ。ただそこに人間が介入しますから、人間の想いが強く出るんですよね。いかんせん人間が豊かにならないといけない宿命があるのでしょう。ということはそこで自然を壊していかなければ、お米も野菜も採れていかない、そういう宿命があるんですよね。その宿命があるがために、森の営みを田んぼに移すことはうまくいかなかった、という感じです。

編集部:人間目線で考えて生態系を作ろうと思っても、上手くいかないということですね。

佐藤:そうかもしれませんね。

 

地球温暖化と米作り


編集部:地球温暖化が騒がれていますが、佐藤さんにはとても問題ですよね。

佐藤:その問題自身も、人間が悪いんじゃなくて人間が生まれたことによって一定の期間を経てくると、土が侵されてきてしまうんでしょうね。森の土がこの星の営みの原点だったような気がするんですよ。

森の営みが基準だとしたら、森の営みを全部反映しているものは水なんですよね。田んぼに汲んでくる水。その水をいかにして上手に田んぼに移し込んでいくかという作業があるわけです。水による光合成とかで、草がいっぱい生えてきて、虫がいっぱい湧いて、要するに森とは一体だったんだよ、ということが大事なんです。この星の営みをいっぱい取り込んだ田んぼは、多様性がぎっしりと詰まったお米が出来てくるんです。

それが地球温暖化を解決する一番の方法だった、ということですね。それがやっと少しずつ分かってきて、失敗、また失敗、でも少しだけ成功かな、というやつがほんの少しだけ出てくる段階かな。

編集部:まだまだというお気持ちですか?

佐藤:そうなんですよ。ひょっとしたら温暖化とか気候変動とか大きな問題は、全部森を破壊してきた人間、田んぼとか畑が出来ない人間があまりにも自分勝手過ぎたために起きたのではないのかな、と。それも宿命だからしょうがないとして、この星の営みからいったら、もっと歩む方法があるんじゃないのかな、それをもう少し探していきたい、そして実践していきたいな、というのが今の僕です。

編集部:周りの人が支えてくれたのも大きなポイントですか?

佐藤:それが誰も支えてくれなかった(笑)。でも、こういう考え方にさせてくれた人たちや、こういう方法もあると教えてくれた人がたくさんいたんです。

編集部:それは農家さんですか?

佐藤:いや、食べてくれるお客さんや取引先さんですね。この間もある方と、食によって社会を変えることは出来ないか、と十数年前と同じ話をしました。そういう話をすると考えたくなりますよね。考えていくと、これは田んぼで十分実践できるかな、人間の考えることとか人間の行動というのは、この星の営みは全部背負いこんでいるんだ、と思ったわけ。そこに気づくわけですよ。それで冬もずーっと何もしないで考えてしまうんです。

ただ、人間の場合、あれがいい、これがいいということで少しずつ排除して良いものだけを取っていく形になる。

自然界の持っている力を最低限利用して、それを活かしてあげて自分も活かさせてもらう、そこが難しいんですよ。人間の力はあくまでも自然の営みを手助けさせてもらっている感じです。

あるがままの力をそのまま稲の、お米の栄養素に繋げたくて今まで頑張ってきたんです。まだ完璧じゃないんですけども、行く先はなんか見えてきたのかな、死ぬまでには何とか日の目をみたいな、という感じでやっているんです。

 

田植えシーズンを迎えて


編集部:5月は田植えのシーズンですが、この頃には気持ちが変わりますか?

佐藤:私の場合はスイッチが入りますね。眠っていてもチラホラ田んぼのことが頭をよぎって、「あれをああしよう、こうしよう、昨年はこうだった、今年はこうだ」とか、「生態系からみて、自然の営みからみて、まだ完璧じゃないよね、どうしたらそっちの方に行けるんだろう」って。そういう風にスイッチが入るんでしょうね。夜中でも考えています。

編集部:田植えは手で植えているのですか?

佐藤:機械です。機械じゃないと、人の食を賄う収量にはなりません。

編集部: 田植えが終わった後は、何かするのですか?

佐藤:草取りを3回ぐらいやります。

編集部:土の活性化をちょっとだけ手助けしてあげる感じですね。その後、収穫までは何をするのですか?

佐藤:たまに水を与えるっていう感じかな。どういう意味かというと、光合成細菌とか藻類とかを一度干して、そういうものから出た養分を水としてかけてあげるんですよ。水が入ってくると養分を吸って根っこの方に流れていく。それから森の営みも上手に続ける。そうするとやっぱり根っこも深く伸びていきます。

編集部:収穫の時期はどんな思いですか?

佐藤:どういう味がするのかな、というのが一番気にかかることです。一昨年まではもの凄く淡泊だった。それはそれで良かったんですよ。土の力も水の力も全部入っているんだけども、窒素分が少ないと淡泊になる。窒素分が出てくると濃い味になる。だから食べてみて、今年はどんな味か、気になりますね。

編集部:自然の状態がお米になっている、ということですね。

佐藤:そうじゃないのかな〜。今までもいろんなことをやってきたけども、最後の決断はやっぱり取り込むという感じなんでしょうね。全部を取り込んでいって、全部活かしてあげる。それによって初めて自分も活かされるという感じなんです。

編集部:今年は良かった、悪かった、ではないんですね。

佐藤:はい、そうです。

編集部:お届けする時はどんなお気持ちですか?

佐藤:ありがたいですね。本当にありがたいんですよ。僕みたいな変わり者のお米を食べてくれて、美味しかったねって言ってもらえたら本当に嬉しいんです。

編集部:今73歳になられましたが、お身体はいかがですか?

佐藤:いやーやばいですよ( 笑)。1日働くとヘロヘロになって。でもまた次の日ちゃんと動けるし。とにかくやりたいんですよ。

編集部:これからもお元気で。ありがとうございました。

 

 

 

こだわりの玄米商品に想いを込めて

コジマフーズ株式会社 社長 小島正士さん

今回は、米加工品を製造されているコジマフーズ株式会社の小島正ただ士し社長にお話を伺いました。

 

創業は米屋


編集部:最初に、読者の方もあまり知らないと思うので、コジマフーズさんについて教えていただけますでしょうか?

小島正士(以下、小島):私の祖父がこの場所(名古屋市)で戦後すぐの昭和23年から米屋を営んでいました。50年以上前になると思いますが、父(現会長)が後を継いでから病気を患っていた時に、お客さんから教えてもらった玄米食で自分の病気を治したことがキッカケで、今の製造業を始めることになりました。

編集部:お米屋さんから製造業を始めたのですね。

小島:はい。一番初めに玄米商品として作ったのは「お餅」でした。昔は正月餅を作る米屋が多かったので、お餅を作る機械があったんです。米の事業をやりながら、片手間で玄米商品を作っていたのですが、当初は作っても売れないから捨てる、を繰り返していて…。地元のお店にも商品を置いてもらったのですが、なかなか販路が見つからないまま時間が過ぎていきました。

たまたま地元の卸問屋の社長さんが「これ面白いな」と言ってくださり、玄米餅を扱っていただいたのですが、半年か1年、待っていてもなかなか進まなかったんです。それで会長は「頼っていてもダメ」ということで、その卸問屋さんにはキチンとお話をして、ムソーさんや純正食品マルシマさんに直接営業をしたそうです。

その後、たまたまパン製造の味輝さんとお会いして「コジマさんの商品を、ぜひオーサワジャパンさんでも」ということで、味輝さんと一緒にオーサワさんにお伺いしたと聞いています。

会長の「何とかしなければ」という想いから出会いやご紹介があり、オーサワジャパンさんとの出会いになったみたいです。

編集部:会長はどのようなご病気だったのですか?

小島:慢性の腎臓炎という、最悪は人工透析になる病気です。会長が20代半ばくらいのことです。

たまたま玄米を買いに来た近くのお客様のご主人が、玄米食で心臓病を治されたということを知り、そのお客様からいただいた本に書いてあった連絡先に手紙を送ったところ「病気というのは身体の中から治さないと治らないよ」という親切なおお言葉と玄米食について丁寧に書かれた手紙が届いたみたいです。そこから食べ始めて一ヵ月くらいでお腹のあたりに力が漲ってくる感じがしたらしいんですね。

玄米食を始めてわずか一ヵ月で体調の変化があったということで、「これはもう治る」と自分で自己暗示をかけたという感じですね。

半年後くらいで病院に行ったところ、腎臓炎がなくなっていたそうです。

編集部:すごいですね。

小島:とても快復が早かったです。若かったからじゃないかな? と思うんですけどね。これが会長の病気と玄米との出会いです。

編集部:コジマフーズさんのターニングポイントだったのですね。

小島:一つの起点になりましたね。当時は自由にお米が販売できるようになって行く時代背景もあって、米屋としても加工品製造でも、こだわりの玄米商品を増やしていった、という流れになります。

 


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