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『月刊マクロビオティック』4月号おすすめ記事

【特別対談】食養をレゲエにのせて

Sing J Roy(ミュージシャン) × 勝又 靖彦(日本CI協会会長)



 福井を中心に活動するミュージシャン、Sing J Roy(シング・ジェイ・ロイ)さんは、昨年夏にYouTube で故郷の偉人、石塚左玄の思想を歌った「食育の歌」を公開して話題になっています。
 自身のレーベルを立ち上げ、全国の小学校から大学まで、子どもたちと一緒に地域の伝統的な食べ物などで歌を作る授業を展開するなど、レゲエと食養のコラボレーションはマクロビオティックの新たな動きとして期待されます。当協会勝又たっての希望で、関東での授業の折に来京したRoyさんとの対談が実現しました。

編集部

 

重度の喘息を救ったアイタルフードとマクロビオティック

勝又靖彦(以下、勝又):本日はお忙しい中ありがとうございます。ミュージシャンの方がマクロビオティックに関心を持ってくださるのは、一番は感性の世界、そしてリズムはまさに陰陽そのものですから、当然のことかなと思っています。
 Royさんのアルバムを聴かせていただいて、マクロビオティックそのものだと思いました。今日お会いできると聞いて、昔の友だちが来るみたいでワクワクしていたのです。

Sing J Roy(以下、Roy):まさか石塚左玄さんも、自分のことがレゲエになって歌われているとは140年前には思っていなかったでしょう。

勝又:ジャズやレゲエは、普通は厳しい生活の中で耐えた悲しい歴史のように思われていますが、そんな見方は全く間違いで、そこに逆に最高の世界を捉えた。つまり、それがまさにマクロビオティックなんです。

Roy:僕は3歳からアレルギー体質で重度の小児喘息を持っていました。18歳位まで、病院から処方された薬を朝・昼・晩と5錠ぐらい、何も考えずに飲んでいたのですが、ある時「この薬の量、大丈夫かな?」と気になったのです。
 その頃、15歳ぐらいからレゲエをやっていた流れでジャマイカに渡った時に「アイタルフード」( =生命の、元気が出る食事の意味)を知りました。そこで「ブッシュドクター」という野草で病気を治す人に出会い、アロエビター( アロエを乾燥させて粉末にしたものをお湯に溶かし、冷やして飲むドリンク)と食で病気を治すことを教わりました。ジャマイカの人たちは、玄米を普通に食べて、酵素ドリンクをいっぱい飲んで、甘いものを摂らずに暮らしています。すごいなと思いました。
 帰国した時に、日本にも普通にごはんと味噌汁、梅干しがあることに気づいて、ジャマイカの食を吸収しつつ、日本の玄米正食を実践するようになって、病院の薬から離れたんです。今も完璧に治っているわけではありませんが、常に薬を飲む状態ではなく、普段は食べ物でコントロールできるなと思いました。
 僕は歌うことが仕事です。声は自分の体から出るので、自分が食べているもの、自分が考えているマインド、それらのすべてが声に出ますから、常に意識をしていないといけないわけです。僕は、そういうことをジャマイカの人たちから学び、日本を改めて知って、日本とジャマイカの共通点がすごくあるなと思いました。

 

石塚左玄との出会い「食育の歌」ができるまで

勝又:Royさんと石塚左玄の生まれたところは近くだとか?

Roy:はい、5分ほどのところです。

勝又:それを知ったのは何かきっかけがあるのですか?

Roy:もともと桜沢如一さんを先に知りました。20歳位の時に、マクロビオティックという言葉を知りました。近所に「ヒノモト」さん( 当協会会員の店)という桜沢さんがとても関わったといわれている自然食品店があって、そこによく通っていたのです。
 石塚左玄はかなり後になって知りました。インターネットで僕の知っているミュージシャンが、桜沢さんが左玄の影響をすごく受けたと書いているのをたまたま見て、調べてみると福井市生まれで「左玄塾」というものがあることを知りました。
 それから、福井に「八百五商店」という江戸時代から続く八百屋さんがあるのですが、店長さんとの偶然の出会いから、左玄をテーマにコラボレーションしてみようという話になりました。そこで、左玄の母校の地区の小学校に行き、店長さんと授業をさせていただいたことで「食育の歌」の土台が完成しました。そこで左玄塾に「左玄の歌を作ります」と案内したら( 勝手に作って怒られると思ったのですが)、理事長の岩佐勢市さんがとても音楽が好きな方で、一度見てみたいということで来られてからお付き合いさせていただくようになりました。
 曲のベーシックな部分はできあがっていたので、岩佐さんとヒノモトのスタッフさんたちと、マクロビオティックの料理教室の方々とみんなで集まってもう一回煮詰め、「ああだ、こうだ」と言いながら歌詞を作ったのです。

 

 

レゲエに興味を持ったきっかけ

勝又:Royさんと石塚左玄の生まれたところは近くだとか?

勝又:Royさんは、ご自身のアルバム「HEART BEAT」の中で、伝記のようなものを歌われていますね。10代の頃にレゲエに興味を持ったきっかけは何だったのですか?

Roy:ある時、スケートボードをしていると、偶然道端で会った人がレゲエバーをやっていて、ちょっと遊びに来いと誘われたのです。僕がそれまでやっていたバンドの音楽は、スタジオに入って練習をして、みんなの前で演奏するというスタイルでしたが、そこではインストゥルメンタルのレコードをかけて、みんなが好き勝手に歌っていました。そんな世界を見て、お金がかからないし、すごく楽しい遊びだなと思ったのです。
 大人たちが好き勝手に歌っているわけですよ。下ネタもあり、好いた惚れたの歌もあり、カッコつけた歌詞はないわけですよ。とてもリアリティがあって面白いなと思って、そのバーに毎日通うようになりました。それで、いつの日か僕も歌うようになっていたんです。

勝又:レゲエに惹かれたのは、その自由さ、即興さだったのですね。Royさんはどんな歌を歌っていたのですか?

Roy:日本は恋愛の歌がとても多くて、そんな音楽ばかりがヒットチャートにのぼるのです。その中に、食べ物の歌があってもいいと思う。そういう歌がヒットチャートに入ってくるようになって欲しいのです。
 例えばジャマイカでは、僕の大好きなANTHONY B というアーティストが「お前の食ってるもの見てみろよ」という歌を歌って1位になったりするのです。「ケンタッキーフライドチキンを燃やせ」「アフリカから来た俺らの食べ物大事にしようぜ」って。すごくレベルが高いなと思います。
 日本でもおそらく70年代までは社会的な歌もたくさんあったと思うのですが、ヒットチャートには入らないですし、まず放送禁止になります。僕も10代だった頃は、放送禁止になるような言葉を使ったりしていたのですが、放送禁止になってしまうと、伝えたいことも伝わらないわけですよね。そうした中でだんだん僕も丸くなってきて、「食育の歌」みたいな言い回しであれば大丈夫だなと思うようになりました。

 

本場ジャマイカでの武者修行

勝又:レゲエに惹かれてジャマイカに行かれたのですね。何歳の頃ですか? 何かツテがあったのですか?

Roy:19歳の時です。ツテはなかったですね。自分がレゲエミュージシャンとして生きていくために、本場のジャ
マイカを見て、本場の人たちに鍛えてもらいたいという思いが強かったです。
 とにかく文化の違いがあからさまに分かりました。ジャマイカでは、自分で稼いだ儲けを独り占めする人はすごく嫌われるんです。町内の誰かがお金を持ってきたら、みんなで食べ物を分け合って食べる世界なんです。
 そんな光景を目の当たりにして、日本はとても豊かな国なんだと思ったんですよ。寝る場所もあって食べ物もあって学校も行かせてくれて。「そんな日本で育った僕なんかにレゲエができるかな」って最初は思いましたね。
 日本はモノはいっぱいあるけど、心の貧困みたいなものがありますよね。ジャマイカの子どもたちのほとんどはストリートチルドレンですが、モノはなくても幸福度がすごく高いのです。
 食べ物を感謝しながら食べている子どもたちを見て、日本のおじいちゃんやおばあちゃんも同じような感覚を持ってるんじゃないかなと思うのです。

勝又:昔はそうでした。私の子どもの頃は食べ物はみんなで共有していたし、地域社会がよその子も育てる。他人の子どもでも叱るし、お腹すかしていればお百姓さんが「これ食べろ」と食べ物を渡してくれました。

Roy:そういうことをジャマイカで改めて聞いて、何を歌わなければならいかを20代前半で叩き込まれました。でも、その頃は畏れ多くて、レコーディングしてもCDを出す気持ちはなくて、ひたすら修行でしたね。
 もう一つ、ジャマイカはマイクを持って歌う前に、料理ができないとダメなのです。子どもの時からみんながナイフを一本持っていて( 人を傷つけるためではなく)、スプーンも作ればフォークや皿を作って料理も作る。基本的に男の人が料理を作る国なんです。僕はたまたま料理が好きだったので、これはクリアしていました。

 

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※この記事は「月刊マクロビオティック」で連載しています。